沖縄全戦没者追悼式2018年06月29日

6月22日から6月24日の3日間、新宿区議会を代表し、沖縄全戦没者追悼式に出席してきました。

 

 

22日、式の前日に沖縄入りし、島の歴史や近況を知るため、モノレールに乗って、「県立博物館」へ向かいました。

「万国津梁」の精神の下、アジアの国々との交易や交通を通し、生活し、発展を遂げてきた沖縄。

博物館では、歴史をひも解きながら、それぞれの時代での苦労や知らなかった沖縄の一面を見聞することができました。

 

 

23日、式への出席に先立ち、「東京之塔」へ向かい献花してきました。

東京之塔とは、先の大戦において、沖縄を含む南方諸地域で戦没された東京都関係者10万有余柱の御霊を慰めるとともに、ご遺族と都民の心からなる平和への願いを象徴するものとして建立されたものです。

哀悼の誠を捧げつつ、花を手向けさせていただきました。

 

次に、「ひめゆりの塔」へ向かいました。

大戦中、唯一国内で地上戦が繰り広げられた沖縄では、迫りくる米軍の攻撃によって多くの人が命を落としました。

当時沖縄師範学校と沖縄県立第一高等女学校に通っていた、女学生222名と彼女らの教師18名の総勢240名。

彼女たちが沖縄陸軍病院に動員され、負傷兵の治療に尽力を注いだのが「ひめゆり学徒隊」です。その名にちなんで慰霊碑「ひめゆりの塔」が建立されています。

塔の奥には、ひめゆり平和祈念資料館があり、お祈りを捧げた後、見学して回りました。

病院壕のジオラマや元ひめゆり学徒生存者の証言VTRが流れ、当時の凄惨な様子を知ることができます。

壁面には亡くなった全227名の遺影がかかげられ、一人ひとりの生きた証が示されていました。

教科書だけでは知りえない、沖縄の悲惨な歴史が胸に迫ります。

 

 

11時50分、平和祈念公園にて、沖縄全戦没者追悼式が開式となりました。

開式の辞や式辞が述べられた後、12時に黙祷。遺族会長から追悼のことばがあり、献花となりました。

 

次に、翁長県知事からの平和宣言です。

「20数万人余の命を奪い去った戦争から、戦争の愚かさ、命の尊さを学び、平和を希求する『沖縄のこころ』を大事に生きてきた。しかし、日本の国土の0.6%しかない沖縄に、米軍施設の約70.3%が存在し、事件・事故、騒音などに今も苦しめられている。辺野古への新基地建設は、沖縄の基地負担軽減やアジアの緊張緩和に逆行しており、これを認めることはできない。」との決意が、戦没者慰霊と平和を希求する言葉と共に宣言されました。

会場は、とても大きな拍手で包まれていました。

 

そして、次の県内中学生の作った「平和の詩『生きる』」の朗読がすばらしいものでした。

「島の悲しみを知り、共に生きていれば、『戦力という愚かな力を持つことで、得られる平和など、本当はないことを。』、きっとわかるはずだ。」との言葉が胸に沁みます。

『これからも生きていく。一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。つまり、未来は、今なんだ。』と力強く詠まれた詩が、今も頭から離れません。

心から拍手を送らせてもらいました。

 

平和宣言と平和の詩の朗読の後、安倍総理が挨拶に立ちました。

そこで、「日本の安全と平和のためにこれまでの歩みを着実に進める」と語られると、会場のあちらこちらから「帰れ」と声があがりました。

会場は、やれやれといった空気です。

挨拶もひとしきり終わり、閉会の辞をもって、式は無事に終了しました。

 

沖縄の悲しい過去を背負い、武器を嫌い、平和を希求する「沖縄のこころ」を、改めて知ることができた追悼式でした。

 

式の後、公園内にある平和祈念資料館を見学しました。

米軍上陸時、90日におよぶ鉄の暴風は、島々の山容を変え、文化遺産のほとんどを破壊しました。

20数万の人命を奪った激烈な戦火にまつわる展示は、「戦争の悲惨さ」を十分に考えさせられるものです。

見学後、館の前に広がる摩文仁の海に向かい「もう二度と戦争を起こさせない」と胸に誓いました。

 

平和祈念公園を後にし、「旧海軍司令壕」を見学しに行きました。

戦時、艦砲射撃にも耐え、持久戦を続けるための地下壕はまるでアリの巣です。

部屋に残る手榴弾による自決の跡など、生々しいものも残っており、改めて戦争の狂気を思い知らされます。

 

夕方になり、ホテルに戻るも、朝からの戦争の悲惨な歴史や資料にあてられ、身も心もグッタリです。

 

 

24日、辺野古の基地予定地や普天間、嘉手納の基地を見に行きました。

 

「辺野古」では、埋め立て予定地のギリギリまで入って、現場を見分しました。

自然環境もしっかり残っていて、とてもきれいな海が広がっています。

近くに設営されているテント村の方に話を聴くと、「そろそろ埋め立てを強行すると聞いている。

そうしたら、この周辺の海は相当な環境変化が起こり、死滅する生物も出てしまうだろう。民意は新基地建設NO!」とのこと。「勝つ方法はあきらめないこと」と皆さんが穏やかに繰り返しつぶやかれるのが印象的でした。

キャンプ・シュワブのゲート側に設営されているテント村と周辺の商店街なども見て回りました。飲み物などを買う時にお店の人に話を聴くと、テント村だけでなく地域の方々も反対しているとのこと。県外から来て反対しているとの噂は、フェイクニュースだったようです。

 

「辺野古」を後にし、「普天間」へ。

基地が一望できる「嘉数高台公園」の展望台に上がりました。

基地を見るとオスプレイが数機並んでいる横に、マンションや家が建ち並んでいます。

「世界一危険な飛行場」と言われる理由が十分に分かりました。

撮影などを済ませ、高台を下り、先日ヘリから窓が落下した「普天間第二小学校」を見に行きました。

現場へ行くと分かりますが、学校の塀の横には、軍のフェンスが立っていて、ヘリの飛び立つ音も響きます。

子どもたちが危ないことに付け加え、教育環境にも良くないのは言うまでもありません。

地域の方々がすぐに対処して欲しいと思うのは当たり前です。

基地と住民の問題を痛感しました。

 

続いて、「嘉手納空軍基地」を見に行きました。

基地には、4000メートル級の滑走路が2本あり、広さは東京ドーム420個分、嘉手納町の面積の約83%が嘉手納空軍基地と嘉手納弾薬庫として使用されているとのこと。

私が訪れた「道の駅 かでな」では、展望デッキから基地を一望できるだけでなく、学習展示室も設置されていて、パネルとモニターを使って、地域と基地の歴史を分かりやすく学ぶことができます。

また、展示ブースの中には、ヘッドフォンでトラックと旅客機と戦闘機がたてる騒音の聞き比べをすることもできます。

私が行った時は、戦闘機が飛び立つことはなく、音を実感できませんでしたが、これのおかげで雰囲気だけは理解できました。

ここで、アイスを食べながら地域の方に話しかけた時のことです。

「よく皆さんは、沖縄の米軍基地と言うけれど、日本にある米軍基地の話だからね。沖縄も日本ということをお忘れなく。」と諫められました。

私は、「騒音など大変ですね」と、どこか他人事のように話していたのでしょう。

恥ずかしくて、穴があったら入りたい気持ちになりました。

 

3つの基地・基地予定地を見て分かったことは、住民にとても大きな負担を強いているということです。

「基地のおかげでご飯が食べれているのだから我慢してもらうしかない」という人もいますが、現場を見聴きしているとそれが見当違いだと分かります。

翁長知事が、「基地が全て出て行っても沖縄県民は誰も困らない。」と言っていたのを思い出しました。

時間の限られた中での慌ただしい視察でしたが、「真実は現場にある」を実感することのできた、とても充実したものになりました。

現場に寄り添った政治を改めて心がけていきたいと思います。

 

 

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